■山川 太嗣
やまかわ・ふとし / 石洲の晩年を知る男
京都市内にある印鑑屋の後継者に生まれ、地元の大学を卒業した山川 太嗣(ふとし)は、修業のため昭和55年(1980)、「長澤印店」に入社しました。
彼は店の仕事終えるとその足で当時目黒にあった石洲翁の工房に直行、長澤印店から石洲翁への発注原稿と彫刻印材を届けたり、逆に翁から長澤印店に納品する作品を預かるという大切な役目を、ほぼ毎晩のように努めました。
そこで山川 太嗣は当時すでに80歳近かった石洲翁から、印鑑のみならず篆刻や書についても、大いに薫陶を受けました。
4年後、修業を終えて明日は京都に帰るという前夜、別れの挨拶に訪れた山川 太嗣に、石洲翁が差し出したのは、彼の代表作を集めた印譜(印影集)でした。
京都に戻った山川太嗣は、その後実家の印鑑店経営の傍ら、時間を見つけては石洲翁の印譜を穴の開くほど見つめ、模刻(模写して刻すこと)を繰り返しました。
「石洲翁の作品はどれも活き活きとした表情を持ち、印譜を見たり模刻するたびに新しい発見と貴重な示唆を与えてくれました。それはまるで、翁の教えを間近で受けているかのようでした」
その生涯を通じて弟子を取らなかった孤高の石洲翁にとって、京都からやってきた山川 太嗣は、晩年に至って心を通わせた、最初で最後の可愛い愛弟子といえるかも知れません。
「石洲翁の名に恥じない作品を生み出していく、それが今の私の使命でもあり、また実に楽しいやりがいでもあります」