技と魂を受け継ぐ三人の弟子たち/昭和印鑑工房

伝説を継ぐ三人の職人

ある者は孤高の天才の晩年を見つめ、またある者は父の背中を追い、そしてある者は師匠からその後を託される-
昭和の名・印鑑職人たちの技と魂は、その愛弟子たちに引き継がれていきます。

印鑑職人・山川 太嗣 / 石洲、最初で最後の弟子

山川 太嗣

やまかわ・ふとし / 石洲の晩年を知る男

「田中角栄之印」山本石洲と山川太嗣の作品比較

京都市内にある印鑑屋の後継者に生まれ、地元の大学を卒業した山川 太嗣(ふとし)は、修業のため昭和55年(1980)、「長澤印店」に入社しました。

彼は店の仕事終えるとその足で当時目黒にあった石洲翁の工房に直行、長澤印店から石洲翁への発注原稿と彫刻印材を届けたり、逆に翁から長澤印店に納品する作品を預かるという大切な役目を、ほぼ毎晩のように努めました。

そこで山川 太嗣は当時すでに80歳近かった石洲翁から、印鑑のみならず篆刻や書についても、大いに薫陶を受けました。

4年後、修業を終えて明日は京都に帰るという前夜、別れの挨拶に訪れた山川 太嗣に、石洲翁が差し出したのは、彼の代表作を集めた印譜(印影集)でした。

京都に戻った山川太嗣は、その後実家の印鑑店経営の傍ら、時間を見つけては石洲翁の印譜を穴の開くほど見つめ、模刻(模写して刻すこと)を繰り返しました。

「石洲翁の作品はどれも活き活きとした表情を持ち、印譜を見たり模刻するたびに新しい発見と貴重な示唆を与えてくれました。それはまるで、翁の教えを間近で受けているかのようでした」

その生涯を通じて弟子を取らなかった孤高の石洲翁にとって、京都からやってきた山川 太嗣は、晩年に至って心を通わせた、最初で最後の可愛い愛弟子といえるかも知れません。

「石洲翁の名に恥じない作品を生み出していく、それが今の私の使命でもあり、また実に楽しいやりがいでもあります」

印鑑職人・小林 董洋 / 父・吉重師の作風復刻に賭ける

小林 董洋

こばやし・とうよう / 父の背中を追って

「大平正芳」小林吉重と小林 董洋の作品比較

下町浅草にある印鑑店の三代目に生まれた小林 董洋は、高校卒業後、修業のため「長澤印店」に就職しました。

しかしその直後、父・吉重師が急病に倒れたことから、彫刻技術の早期習得を目指して同店を3か月で退社、大阪にある印鑑彫刻専門会社に再就職します。

社員寮に住み込んで5年間、印鑑彫刻技術を習得した彼は東京に戻り、父・吉重師に代わって浅草にあるハンコ屋を切り盛りしてきました(現在は店舗営業を終了)。

小林 董洋自身、当時は若かったこともあり、「親父は親父、オレはオレ」とばかりに、父・吉重師独特の作風には、さして関心を寄せませんでした。

しかしやがて大きな転機が訪れます。
ある日店を訪れた客から、父・吉重師ならでの書体でのハンコの注文を受けたのです。

幸いにして彼の手元には、吉重師の長年にわたる膨大な作品印影が残されていました。
小林 董洋はそれらを参考に習作に励み、病床にあった吉重師からのアドバイスもあって注文は無事に完成、客にも大いに喜ばれました。

彼これを機に父・吉重の作風の再現に本格的に取り組みます。
そして約10年に及ぶ研鑽の末、かつて「長澤印店流の正統な後継者」と評された父・吉重師ならではの流麗な作風を「吉印体」の名のもとに、ついに自家薬籠中のものとしました。

「吉印体」誕生のストーリーと、そこに隠された父と子の物語は、当店姉妹サイト【浅草ハンコ名人会】でお読みいただけます。

印鑑職人・永田 皐月 / 松崎秀碩の工房が最も信頼した職人

永田 皐月

ながた・こうげつ / 匠が後を託した職人

「鈴木善幸」松崎秀碩と永田 皐月の作品比較

岐阜市にあるハンコ屋の後継者に生まれた永田 皐月は、高校卒業後、修業のため東京・虎ノ門の「三田印房」に入社します。
「三田印房」は、奇しくも「長澤印店」とは同じ外堀通り沿いの至近距離にありました。

永田 皐月は三田印房での修業と並行して、印鑑彫刻技術習得のために、隔週日曜、東京印章協同組合技術講習会に通います。
そこで彼の学年を受け持った担任の講師が、松崎 秀碩師でした。
5年後の講習会卒業式で秀碩師から送られた「どんな仕事も手を抜かず、常に最善を尽くすように」との言葉は、その後今日まで永田 皐月の支えとなっています。

時は移ろい平成24年(2012)12月、彼は病床の秀碩師を見舞います。
そこですっかり病み衰えた師から「私の作風を受け継いでもらえまいか」と懇願された彼は、その責任の大きさに一度は固辞しました。
しかし「あなたにとっても勉強になると思う」との師の言葉に意を強くして、秀碩師の作風の継承を決意します。

それから数か月、秀碩師の印影を参考に習作を続け、平成25年(2013)7月から当店姉妹サイト【秀碩の工房】の後継職人として、その名に恥じることのない名品の数々を生み出し続けています。

亡き秀碩師とまるで一心同体になったかのような彼は、師の最高傑作のひとつ「鈴木善幸」の整合性に富み、なおかつ伸びやかな作風も、実に忠実に再現し得ています。

実はそんな永田 皐月のことを、生前、秀碩師は秘かにこう評していました。
「彼の技術はもうとっくに私を超えているよ、口惜しいから本人には言わないけどね(笑)」

ここまでお読みいただきありがとうございます。
昭和歴代首相の印鑑を彫刻した伝説の職人と、その後を継ぐ愛弟子たち。
彼らの作品にご興味をお持ちいただきましたら、ぜひ昭和印鑑工房ショールームにもお立ち降りください。
■昭和印鑑工房ショールームを見る>>