伝説の昭和ハンコ職人たちの作風を知る/昭和印鑑工房

三者三様、個性的な作風

■大胆な虫食い表現で実用印と篆刻の絶妙な融合を達成した山本 石洲。
■まるで生きているかのような艶やかな文字線を生み出す小林 吉重。
■すっきりとして全体のバランスが整った作風を得意とする松崎 秀碩。
首相の印鑑におけるそれぞれ異なるスタイルを、じっくりご覧ください。

印鑑「田中角栄之印」に見る山本 石洲の作風

山本 石洲の作風

「田中角栄之印」に見る独創性

山本石洲翁の作風を一言で表せば、まさに「変幻自在」。

卓越した技術と天性のセンスに裏打ちされた作品群は、一点ごとに異なる、それぞれ豊かな表情を持ち、同じ一人の職人の手から生まれたとは信じ難いほど。

中でも石洲翁が最も得意としていた書体が「篆(てん)書古印」。
中国渡来の篆書と日本で生まれた大和古印体をミックスさせたものです。

太く伸びやかな篆書に、大和古印体独特の丸みを加え、さらには意図的に文字線の一部を欠落させる「虫食い」や、線が交差する部分を太く表現する「墨だまり」技法により、文字をより立体的、絵画的に表現する、極めて難易度の高い書体です。

中でもこの「田中角榮之印」は石洲翁の「篆書古印」作品の中でも群を抜く傑作。

縦画の微妙な湾曲や、特に「榮」に見られる大胆なまでの虫食い表現は、いわば「実用印と篆刻の絶妙な融合」であり、当時「篆書古印」を彫らせたら並ぶ者なしと評された石洲翁の真骨頂です。

そしてそれは「ブレーキの壊れたダンプカー」と称された田中角栄元首相の、豪放磊落ながらも親しみやすさを兼ね備えた人柄をよく表しています。

印鑑「大平正芳」に見る小林 吉重の作風

小林 吉重の作風

「大平正芳」にみる晩年様式

三木武夫、福田赳夫に続く「小林 吉重、首相印鑑三部作」の掉尾を飾るのが、この「大平正芳」です。

これより前の三木、福田両首相の印鑑においては、石洲作風の影響が色濃く残っているように感じられます。
しかし本作においては、磨きのかかった円熟味と共に、吉重師ならではの新しい表現方法が確立されています。

その1つは、文字の重心が上部に集約されている点。
各文字の横画(線)を持ち上げ、上部に集中配置することで、文字の下部に意図的な余白を現出させます。
その空間を優美に舞う曲線はくっきり浮かび上がり、八頭身美女のような「脚が長く艶っぽい文字」となって、文字があたかも生きているかのような印象を与えます。

さらに脚をより長く見せるために、「平」と「芳」において、下部の空間を泳ぐかのように、線に大胆な屈曲を施しています。
加えて「芳」の草冠において特に顕著ですが、文字の先端を、まるで笹の葉のように先細りさせています。

これこそが、晩年の吉重師が到達し得た、なんとも「洒脱な」新境地と申せましょう。

印鑑「鈴木善幸」に見る松崎 秀碩の作風

松崎 秀碩の作風

「鈴木善幸」に見る印面構成の巧みさ

本作における松崎 秀碩師の作風と、前出の二人とそれの違いは明白。

まず基本的に線の太さがほぼ一定で、スッキリとしています。
それでいて全体としては伸びやかで雄大な印象を受けます。

しかしよく見ると、どの文字線も微妙なカーブを描いていて、それが作品全体にどこか柔和なイメージを持たせています。
また「鈴」の「令」の下部に大胆な曲線処理を施すことにより、重厚な中にも動きのある、軽やかな一面が浮かび上がってきます。

秀碩師は常々「文字全体と外枠とのバランスが最重要」と言い、後進の指導に際しても、その点を最も強調していました。
本作においても綿密な印面(彫刻面)構成が成されており、その結果、「木」の下部の空間もまったく冗長感を受けません。

秀碩師は「文字は作品、空間は下地、外枠は額縁」とも説きます。 常に全体の調和と整合性を尊ぶ、そんな師の穏やかな人柄が、本作に結実しているかのようです。

ここまでご紹介した伝説の職人たちは残念ながらすでに鬼籍に入っています。
しかしここに、師の職人魂と作風を受け継ぐ愛弟子たちがいます。

■3人の愛弟子職人たちを見る>>