■山本 石洲
やまもと・せきしゅう (1902-1986)
昭和47年(1972)7月、「今太閤」と謳われ絶大な人気を誇った田中角栄首相の印鑑を彫刻したのが当時70歳の山本石洲翁。
今日では往年の姿を撮影した写真も発見されず、遺されているのは1冊の印影集と晩年作のわずかな印影だけ。
文字通り、謎多き伝説の印鑑職人と申せましょう。
昭和初期に隆盛を極め、当時は銀座4丁目交差点近くに存在した天保年間創業の老舗印鑑店「江島印房」を経て、その後、同店の流れをくむ「長澤印店」の専属職人となり、特に晩年は専属の筆頭格として多くの傑作を世に出しました。
今では少なくなった石洲翁の姿を知る人は皆、口を揃えて「何とも言えない、独特のムードがある人だった」と言います。
和服が似合うスラリとした長身、端正な顔立ちで目元涼やか、穏やかな物腰はいかにも頑固な職人というイメージとは異なり、むしろ知的でクールな孤高の印鑑作家と呼ぶべきかもしれません。
そんな石洲翁の工房は8畳ほどの和室に座り机と裸電球がひとつ。
仕事場からは風流な庭が見え、そこには幸雲地蔵が鎮座。
机の上には水入りのフラスコがあり、裸電球の光を屈折させて印鑑の表面にだけ当て、その光を頼りに正座して彫刻するという、なんともムーディかつミステリアスな作業風景でした。
ちなみに筆者が長澤印店に丁稚奉公で入社した昭和54年(1979)当時、石洲翁はすでに半ば引退状態で、お目にかかる機会はついぞ訪れませんでした、ああ残念無念。